大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(ツ)45号 判決 1965年7月08日

上告人 野地三郎

被上告人 大木進

主文

(一)  原判決を破毀する。

(二)  本件を横浜地方裁判所に差戻す。

理由

上告理由第一点

借家法は、建物の賃借人を保護するために賃貸人の賃貸借の更新拒絶権および解約申入権を制限し(同法第一条ノ二、第二条、第三条参照)、右に反する特約で賃借人に不利なるものはこれをなさざるものとみなしている(同法第六条)。従つて一定の期間後に賃貸借を消滅させて家屋の明渡を約するいわゆる期限付合意解約も、右賃貸借が一時使用のためになされたものと認められないかぎり、同法第六条の規定の適用を受けるものといわなければならない。この理は、右合意解約が裁判所における調停で締結された場合においても同様である。けだし、裁判所における調停だからといつて、法律がなんら特別の規定を設けていない以上、当事者はもちろん、調停委員会でも借家法のような強行法規に違反する処分行為を有効になしうるわけがないからである。

それなのに、原審は、右合意解約については原則として借家法の適用がないものと解しつつ、しかも賃貸人が優越的地位を利用し賃借人を圧迫した形跡が全然ないから、右合意解約は賃借人にとり一方的に不利益な約定と断定さるべきではないと判示している。しかし、前叙のように、右合意解約についても、同法第六条の適用があるのであるから、その契約をなすにいたつた事情のいかんに関係なく右合意解約にして賃借人に不利なものは無効というべきである。

しかして、原審の適法に確定した事実によれば、被上告人の先代亡大木コウは昭和二八年一〇月上告人を相手方として、小田原簡易裁判所昭和二八年(ノ)第四四号事件において賃料値上と賃貸期限の設定を求める旨の調停を申立て、同年一二月二二日右調停において「(一)申立人(亡コウ)は相手方(上告人)に対し本件家屋を昭和二九年一月一日から賃料一ケ月金四、五〇〇円、毎月末日払いの約で昭和三八年一二月三一日まで引続き賃貸すること。(二)相手方は申立人に対し昭和三八年一二月三一日限り本件家屋を明渡すこと」という調停条項が成立したことが認められる。

してみると、亡コウと上告人との間の右調停は、なんら特別の事情についての主張、立証のない本件では、従前継続し来つた賃貸借を解約の上、一〇年後の昭和三八年一二月三一日までの間本件家屋の明渡を猶予する旨のいわゆる明渡猶予期限を定めたものではなく、上告人は、借家法に定められている被上告人の解約申入権についての制限を取り除くことに合意した、一〇年の期間後に当然賃貸借契約が解約されるという、期限を定めた賃貸借契約であると認めるを相当とする。そうだとすれば右調停条項は、上告人の主張するとおり、上告人の不利益に締結されたものということができる。

されば、右期限付合意解約の条項のみは、同法第六条の規定により無効といわなければならないから、これを有効なりとして、亡コウの相続人である被上告人から上告人に対する小田原簡易裁判所昭和二八年(ノ)第四四号賃貸借期間締結並に賃料値上調停事件の調書中、調停条項第二項に基づく強制執行の排除を求める上告人の請求を理由なしとして棄却した原判決は、その余の点について判断するまでもなく、破毀を免れない。

よつて、民事訴訟法第四〇七条第一項により原判決を破毀しさらに上記の特別の事情の有無等につき審理さすを相当と認め本件を原裁判所に差戻し、主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 兼築義春 吉野衛)

別紙 上告理由書

第一点借家法第一条の二、第二条、第六条の解釈について。

一、原審は、その判決理由第二項(一)六行目以下に於て「本件調停条項第二項に定める合意のような一定の期間後に賃貸借を消滅させて家屋の明渡を約するいわゆる期限付合意解約は同法(借家法)の関知しないところとしなければならない」、同じく同項(二)一行目以下に於て「調停により期限付合意解約を定めた場合には、かかる条項を無効と解する余地はない」との趣旨を述べつつ、その中間に於ては同項(一)二六行目以下昭和三一年一〇月九日最高裁判所第三小法廷判例(民集一〇巻一〇号、一二五二頁)の文言を引用、修正し「一定期限の到来を待つて解約の効果を発生させる期限付合意解約も他にこれを不当とするような特段の事情がない限り、単にその約旨自体により借家法第六条により無効であると解すべき合理的根拠は存在しない」換言すれば、右条項を不当とする特段の事情があれば、借家法第六条により無効とされる場合もある旨、逆の見解を示しており、右二つの相容れない解釈がどのように関連するのか、極めて不明確である。

而して、理由第二項(一)及び(二)を通読するとき、その言わんとする趣旨は、(1) 家屋の期限付合意解約が調停の場合に於て成立した時は、かかる条項につき借家法は関知しないが、右が私人間に於いて成立した場合には借家法第六条によつて無効とされる場合もある、との趣旨にも解せられ、又或いは(2) 調停、私人間を問わずかかる条項もこれを不当とする特段の事情の有無により、その有効、無効を決すべきであり、換言すれば常に借家法に基く配慮の対象とされるものである、との趣旨にも解せられるのであつて、仮りに(1) の見解であるとすれば、それは前記最高裁判所の判例に反することとなり、又(2) の見解であるとすれば論旨に矛盾、齟齬があるものに外ならないものである。

二、前記最高裁判所判例に所謂、期限付合意解約の条項を不当とする特段の事情は何かは、右判例には具体的には例示されていないが、その判断の前提となつた事実関係と、本訴に於ける事実関係とを対比する時、そこに自ら右不当なる事情の概要を知ることができるのである。

即ち、前記判例の前提事実は、賃貸人の側に家屋明渡しを求める正当事由が存在し、訴訟によつても当然勝訴判決を得られるものであるが、一方賃借人の立場も充分考慮し、判決によつて決着をつけるよりは、これに多少の明渡猶予期限を与えることによつて調停で解決する方が合目的見地から妥当と考えられたところから、明渡期限につき家屋の一時使用と目される二年半の期限を約した事案である。

これに反し、本件にあつては被上告人側には本件家屋の明渡しを求める正当事由が全く存在しない。

そもそも、上告人、被上告人間に家屋明渡しをめぐつて紛争を生ずるに至つたのは、原審に於ける上告人本人尋問の結果明らかな通り、上告人と被上告人の先代亡大木コウとの間の感情的不和が原因であつた。

当時上告人には本件家屋を離れては他に生計の方途がなかつたのに反し、被上告人側には貸間も可能な程広い住居、その所有に係る貸家、みかん山、田畑等収入の方策はいくらでも立て得たものであつて、特に係争家屋の明渡しを求めなければならない正当事由はなく、従つてこれを前提としての紛争ではなかつたものである。

又明渡期限の十年についても、これを以て家屋の一時使用とは言い得ないこと勿論、却つて被上告人側に係争家屋の明渡しを求めなければならない緊急性の不存在を推認し得るものであつて、現に十年を経過した今日迄被上告人は係争家屋の明渡しを受けないまま、何等生計上の不都合もなく過して来ているのである。

要するに本件事案にあつては、上告人に家屋を明渡さなければならない借家法上の義務は何等なかつたもので、この点に於て前記判例の前提事実とは全く事情を異にしているものである。

更に本件調停申立に至つたいきさつをみれば、上告人に係争家屋明渡しの意思がなかつたことは明白であり、偶々被上告人側に於て明渡しの要求を放棄し、賃料値上げと賃貸期間設定の調停申立をなしたので、上告人は右趣旨のもとにこれに応じたまでの事であつて、かかる事情のもとに於ては、裁判所乃至調停委員としても、係争家屋を期限の到来と共に無条件に明渡すべき旨の条項を賃借人に受諾すべく勧告、説得するについては、寧ろこれを差控えた方が妥当とされる場合が応々考えられるものである。

成る程、調停は原審のいう通り「当事者の自由なる合意にさらに裁判官、調停委員による実質的正義の立場からなされる合理的裁量が加つて成立するもの」であり、「借家法の借家人保護規定を潜脱する趣旨の合意が借家人に強制される余地はない」筈である。

たしかに形式的、表面的にはかく言い得るのであるが、しかしその反面、地方都市に行けぱ行く程、又訴訟経験が欠しければ欠しい程、当事者が裁判所乃至調停委員に対して抱いている畏怖感は吾人の想像以上に絶大なものがあり却つて調停の場に於ける裁判官又は調停委員の勧告であるが故に自由意思を拘束され、私人間に於てはたやすく拒絶し得る事項についても、その真意を十二分に表示し得ないでいる実態を無視するわけにはいかないであろう。

本件上告人の場合が正にこれに該るものであつて、従つてかかる当事者に対し裁判所又は調停委員が、実質的正義乃至合理的裁量の見地から、明渡期限設定につき勧告することは、その主観に於て善意であり、その目的に於いて正当であつたとしても、結果的には賃借人たる上告人からその真意に基づかずして、借家法第一条の二及び第六条の保護を奪つたことに帰着するものである。本件調停条項成立の前提事実が以上の通りであるとすれば、かかる事情こそ前記判例に所謂、期限付合意解約の条項を不当とする特段の事情に該当するものと言うべきである。

従つて、かかる諸事情を洞察の上、上告人の原審に於ける各主張を判断したとすれば、当然原審の述べる理由第二項(三)(四)及び第三項二行目以下八行目迄の説示は異つた結論に達すべく、これに適用すべき法条も自ら別途のものならざるを得なかつた筈である。

なお、本件と全く同種の事案で、長野地方裁判所昭和三八年五月八日の判決は賃借人の主張を認め、早稲田大学助教授篠塚昭次氏は右判旨に賛成されていることを附記する(参照判例時報三四七号附録判例評論六二号三二頁以下)。

第二点賃料受領の点について。

上告人は本件調停条項による明渡期限後である昭和三九年一月以降毎月従前通りの家賃を被上告人方に持参提供し、被上告人もこれを何等の異議もとどめることなく、同様に従前通り受領している(参照甲第五号証)。このことは、本件調停によつて成立した賃貸借契約が、右期限後同一の条件を以て更新されたことになるが、これについて原審はその理由第三項八行目以下に於て次の通り判断している。

「被控訴人(被上告人、以下同じ)が明渡期限後契約更新に応ずる意思を有しないことは本件訴訟に応訴し、賃貸借の終了を主張している態度によつて明らかであるから、被控訴人がその間家賃を受領しているからといつて、何らの異議をもとどめていないとはいえず、したがつて、右家賃受領により賃貸借が更新された旨の控訴人(上告人)の主張も到底採用できない」右は被上告人の側からのみ事を観察し、上告人の立場、弁済提供の意思を全く無視した一方的な見解である。上告人の側から言えば、上告人は本訴によつて本件調停条項第二項が無効であり、従つて昭和三九年一月以降も、係争家屋に対する賃貸借は継続しているものと主張しているのである。

そうとすれば、上告人が被上告人に提供する金員は、該家屋の賃料としてこれを提供しているものであつて、損害金としてではないこと、経験則上極めて明白である。従つて、被上告人が右金員を無条件に受領することは賃料としての提供を承認したことに外ならないのである。仮りに、被上告人が右金員受領に当り、損害金としてこれを扱う旨の意思を表示したとすれば、上告人は直ちに提供を取止め、該金員を弁済供託した筈である。そうして、被上告人が上告人に対してなしたと同様、何等の異議も止めずに右供託金を受領したとすれば、被上告人は家賃として供託する旨の供託原因に拘束されることになる(参照最高裁一小、昭和三三、一二、一八日判決、第一二巻三三二三頁、最高裁一小、昭和三六、七、二〇判決、判例時報二六九号七頁、最高裁一小、昭和三八、九、一九判決、民集一七巻八号九八一頁)。

要するに、弁済提供された物を、提供された趣旨と異る趣旨で受領する場合には、現実の提供或いは供託物の受領の別にかかわりなく、その旨を明示することを要し、かかる措置に出でなかつた場合には、当然提供の趣旨を承認した上で弁済を受領したものとして扱われるべきものである。

この点に於て原審は事実を誤認し法令の解釈を誤つたものという外はない。その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

結論

以上記述したとおり原審裁判には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背、及び民事訴訟法第三九五条第六号に該当する理由不備乃至理由齟齬の違法が存するので、破棄さるべきものである。

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